宮崎引退会見でわかった言葉の使い方

書き言葉、話し言葉というテーマの中で、宮崎駿監督のインタビューを少し文字起こししていたのですが、ちょっと面白い現象に遭遇してしまいました。

彼の一人称です。

これが「あれ?」と思った文章。

私は73になりますから、それから7年かかると、80になってしまうんです。

で、僕はその、この前お会いしたあの、文藝春秋の元編集長だった安藤さんという、方とお話ししてですね、その方83でしたが、本当に背筋が伸びて、頭もはっきりしててですね、本当に、こう、いい先輩がいる、と、ああ、僕も83になってこうなってたらいいな、とか思うもんですから、あと10年は仕事を続けます、と言ってるだけでして、続けられたら良いなと思いますが、今までの延長上には、自分の仕事はないだろうと思ってます。

そういうことで、僕の長編アニメーションの時代は、はっきり終わったんだ、という風に、もし自分がやりたいと思っても、それは年寄りの世迷言である、という風に片付けようと決めています。

宮崎駿引退会見

そう。

こんな、質問の回答ひとつで一人称が3パターンもでてくるなんて聞いたことがない。思わず何度か聞き直しました。しかし、何度聞いても出てくるのは

「私」

「僕」

「自分」

3つです。

おかしいですよね?

しかし、これまた不思議なことに、普通に聞き流しているときは、全然気にならないんです。何事もなく聞ける。だからまあ、聞き手にとってはどうでもいってことなのですね、ある種。

ということで、言葉というのは、話している分には適当でも違和感は無いが、文字を起こして書く分には言葉に違和感が出てくる。そんなことを感じた宮崎駿引退会見でした。

ああ、宮崎さん、平家物語やってくれないかな?

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ikeda
(いけだきょうすけ)1989年生まれ。愛知県のwebデザイナー兼プログラマー兼ライター。基本的に企画からデザイン、プログラミングまで一貫して請け負っているがイラストはへたくそ。誰かの人生がちょっと良くなれば嬉しいです。